2018年1月17日水曜日

32、外向的感覚型(タイプ7)

私は生きることに夢中だ。人生の変化、色、さまざまな動きを愛している。話ができること、見えること、音が聞こえること、歩けること、音楽や絵画を楽しめること、それは全くの奇跡だ。➡ アルトゥール・ルービンシュタイン

言葉はもう充分だ。行動しよう!(広島原爆資料館・平和へのメッセージ)
➡ レナード・バーンスタイン

経験でも芸歴でもない。今、この瞬間で一番素敵な自分を表現できること。そして、楽しめること。➡ バーバラ・ストライサンド

■タイプ7(楽しみを見出す才能と、苦しみを避ける囚われをもつ)の状態
良い状態=楽しいことが好き、自主性に富む、想像力に富む、建設的、物事に熱中する、素早い、自信たっぷり、チャーミング、好奇心が強い。
悪い状態=自己陶酔的、衝動的、焦点が定まらない、反抗的、自制心を欠く、独占したがる、躁病的、自己破壊的、落ち着きがない。

■タイプ7の成長のベクトル=タイプ5(考える人、内向的思考型)の肯定的な面に向かう。
・物静かで、内向的で、冷静になる。・周囲の人から、誠実な人として認められる。
・人の世の両極端、善と悪、幸せと悲しみを共に受け入れる。
・自分の「恐れ」を直視し、それを受け入れることが出来る。
・現実に根を下ろし、着実に物事をこなす。

■タイプ7の衰退のベクトル=タイプ1(改革する人、外向的思考型)の否定的な面に向かう。
・冷笑的で、何かにつけて酷評し、あら探しと小言で他人を変えようとする。
・自分自身も他の人も、批判的に裁くようになり、過ちを許せない。黒か白かという観点で物事を判断し、真実は自分にあると確信したがる。
・「自分を楽しませてくれない」、として他人を責める。
・ある着想や企画に対して、強迫的にこだわる。
・どんなことにも軽い癇癪を起すようになる。

 ■外向的感覚型の説明
現実主義において外向的感覚型にかなうものはない。このタイプは、客観的な事実感覚がきわめて発達している。彼は生涯を通じ具体的な事実という経験を積み重ねてゆくが、こうした彼の体験は、場合によっては「経験」という名に値するものとはならない。彼が何かを感じ取っても、せいぜい新たなる感覚の道しるべとして役立つだけで、彼の関心領域に入ってくるものは全て、感覚というフィルターを通して獲得され、しかもそれは感覚の目的に適うものでなければならない

事実そのものに対する明白な感覚を「理性的」と理解しがちな人なら、こうした人を「理性的」と賞賛するかもしれない。しかし彼らは決して理性的ではない。というのは、彼らは合理的な出来事の感受に支配されているのと同じくらいに、非合理な偶然の感受にも支配されているからである。もちろんこうしたタイプは感覚に支配されているなどとは思っていない。それどころか、まったくのお門違いだとして冷笑するだろう。なぜなら、

彼にとって、感覚とは具体的な生の表れであり、豊かな現実の生を意味するものだからである。彼の意図は具体的な享楽を目指しており、彼の道徳心も同様である。というのは、

真の享楽とは、それ独自の道徳・節度・法則性・そして無私と犠牲的精神を備えている。彼は何も感覚的に粗野な人間であるとは限らず、自らの感覚を美的純粋の極みまで分化させることができ、それでいてきわめて抽象的な感覚においても、客観的な感覚という自らの原動力に背くことがない。

このタイプの通常の段階は、反省しようという気も支配しようというつもりもなく、直接触れることのできる現実によって生きている。彼の動機は、客体を感じ感覚を得る、そしてできれば享楽を得ようというものである。決して無愛想ではなく、人に好感を与える能力を持ち、陽気な仲間であり、品の良い趣味人である。前者にとっての一大関心事は多少なりともうまい昼食にありつくことであるし、後者の場合にはよい趣味である。

人の発言や行為は、彼が感じ取るものだけが、彼にとっての真実であり、具体的・現実的なものに優るものなどありえないと彼は考える。すなわちそれ以外に、それを超えるような推測が許されるのは、その推測が感覚を強化する場合だけである

ただしこの推測は心地よい感覚を強化するものである必要はまったくない。というのは、このタイプはいわゆる快楽主義者ではないからである。彼の求めているものはただひたすら強烈な感覚であり、その感覚はつねに外界からもたらされるものでなければならない。内界からくるものは彼にとって病的で忌まわしいと思われる。

このタイプも当たり前に考えたり、感情をもつことはあるが、それを常に客観的な基盤、すなわち客体からくる影響にあっさりと還元してしまい、それによっていかに論理が捻じ曲げられようが、まったく気にしない

2018年1月9日火曜日

31、内向的感情型の影

タイプ6の成長のベクトル=タイプ9(調停者・内向的感覚型)の肯定的な面に向かう。
他の人に感情移入して、思いやりを持つ。
広い視野を持つ。
人生における失敗をそれほど深刻に思わなくなり、自分を解放できるようになる
嫌いな人や嫌な状況も、穏やかに受け入れる

内向的感情型ーC・G・ユング著「タイプ論」みすず書房より
内向的感情型は、冷ややかで控えめに見えるため、表面的な印象では感情が乏しいように誤解される。彼の感情は外に向かうのではなく、内奥に向かって発達するのである。外向的な同情心は、言葉や行為によって表現され、対象によって解放される。内に向かう同情は表現の道を塞がれているため、その人の中で満々と湛える情熱となり、世界中の不幸を一身に背負った形でピン留めされる。時には同情が外にあふれ出て、人々を唖然とさせるような英雄的行為に導くこともあるが、その英雄的行為に対して客体もその人自身もどのように関わればよいのか分からない

そのため外向型の<主観的な態度の乏しい見方>で見ると、このような同情は冷淡なものに見えてしまう。というのは、

このような同情は目に見えることは何もしないし、外向型の判断は目に見えない力など信じることが出来ないからである

こうした誤解はこのタイプの人の人生に特徴的な出来事であり、彼(彼女)の胸の内に<客体とより深い感情関係を持つことを戒める>重要な証拠として刻み込まれる。

ただしこうした感情の真の対象が何であるかは、このタイプの健全な人にとっても漠然としたものでしかない。このために、自らの目的を世間に表す際には、世俗的な見方から慎重に隠された宗教的な形をとったり、世間を驚かさないように詩的形式で個人的に表現する。それと同時に彼(彼女)の心には<客体に対して優越できるのではないかという秘かな野心>が隠されている場合もある。そのため、このタイプの子どもをもつ母親(父親)は<無意識のうちに自らの情念を子どもに吹き込む>ために、こうした野心が子どもに注ぎ込まれることになる。

正常なタイプにおいては、秘かに抱いている感情をあからさまに客体より上に置こうとか、無理やり押しつけようとかする傾向を本気で追求しようとして、厄介な問題を引き起こすというようなことはほとんどない。しかし、やはりその中の幾分かは滲み出してきて

しばしば定義しがたい・相手を支配するような・影響力をふるうという形で、客体に個人的な作用を及ぼす。この影響力は押しつぶされるような感情や窒息させられるような感情として感じ取られ、周囲を呪縛する。こうなると特にこのタイプの女性は、ある種の神秘的な力を獲得し、外向的思考型の男性を強く惹きつける。というのは、この力が彼の無意識を揺り動かすからである。(外向的思考の無意識は内向的感情)

正常な思考力が無意識的な主体を高いもの、自我はそれより下に位置するものと感じ、感情は自我よりも高く強力なものと感じている場合、このタイプは正常である。このタイプの無意識的な思考(感情が優位なので思考が抑圧されている)は太古的ではあるが、自我を主体に祭り上げようとする衝動を減圧して補償する力を持つ。ところがこの減圧装置としての思考を完全に抑圧してしまうと、無意識的な思考が自我に対して反旗を翻す。劣等機能としての外向的思考は、見下していた客体の威力や重大さを、思い知らせるように作用する。意識が「邪推」を始めるのである。

この場合の「他人の考えていること」はあらゆる卑劣な行為や悪だくみであり、真実であるかどうかは問題にならない。主導権を奪い返すために、予防のための陰謀を巡らし、他人を疑って盗み聞きをし、できるだけ情報を集めて判断しようとする。主体はますます、たくさんの噂に襲いかかられ、何とか優勢に転じようとして全力を振り絞る

目に見えない確執は果てしなく続き、熾烈な戦いに勝つために、悪質で卑劣な手段を用い、場合によっては美徳でさえも悪用される。ここまでくると主体は消耗しきってしまうのでので、神経症としてはヒステリーよりも神経衰弱が多く、貧血に伴うような身体症状が強く現れる。

2018年1月6日土曜日

30、不健全なタイプ6

ドン・リチャード・リソ「性格のタイプ」春秋社より

劣等性を補うための攻撃
通常のタイプ6 は、自分が不安でも優柔不断でも、人にも依存していないと証明するため、自分の受動攻撃性を抑圧し、積極的な攻撃行動に出ることがある。この段階で、タイプ6は、不安を誘発させるものを攻撃することにより、ますます募る不安を支配しようとする。彼らは自惚れ、自分を「タフガイ」だと威張り散らし、反抗的で好戦的になり、他人がどれほど困らせ妨害しても、自分は邪険にできない相手だと知らせようとする。

過補償された攻撃は、真の強さではなく、周囲を失望させ、傷つけることにより、自分が優越していることを示そうとする手段である。この段階でのタイプ6は強いのではなく、単に卑劣で暴力的なので、影響を受ける人間を生きにくくさせる。彼らは権威、こちこちの軍人、卑劣な暴君のカリカチュアであり、大言壮語とこけおどしに満ちている。彼らは危険だが弱い存在であるという理由で、一層危険なのである

通常のタイプ6 は、集団と一体感を持つことで安心を得ようとするが、この段階になると、党派心が強く権力盲従的で、人びとを「自分のための人」と「自分に逆らう人」に厳密に分類する。あらゆる人が、我々体彼ら、部外者対部内者、友人対敵というむき出しの二分法に従わされる。

健全なタイプ6に見られる忠実は、粗野で好戦的な党派性に堕落してしまう。「良かれ悪しかれ、私の国だ(私の権威、私の指導者、私の信念だ)!」これが彼らのモットーになる。 彼らの集団が問題視される場合には、その権威と信条体系だけでなく、自分の生き方に対する攻撃と見なされる。彼らの不安は心の問題である一方で、この段階においては他人への憎しみが不安の表明として顕在化する

権力に盲従するタイプ6は 、自集団の防衛の中で、強く傷つき、包囲された者の心理で部外者全てに反抗する。彼らはその全ての部外者を潜在的な敵として疑いの目で見る。彼らは自警団のように、ときにはきわめて凶暴に部外者と戦う。しかし、皮肉にも、過補償の力学のためにタイプ6は、本来の規準からしばしば外れる。民主主義を信じていたはずのタイプ6が、狂信的偏見の塊となり、同胞の市民の公民権を否定したり、信仰に厚いはずの人間が背教者となり、法と秩序の番人が法律に背く。

統率者であるタイプ6は、この段階で特に危険となる。自分の属する「伝統的価値」を守るためには、どんなことでもするという攻撃性と欣然さのため、彼らは不安を持つ人々から指導者として求められるからである。彼らはたいてい、大衆の力を自分の背後に得られるように、人びとの中に不安を掻き立てる扇動家である。ここでは、勇気ではなく不安と憎悪が原動力となる。

偏狭なタイプ6がもつ醜い面の一つは 、対象となる人や集団を必要とすることである。自分の感情面の必要を満足させるために、排除したい自分の弱さを投影できる集団を、何としても探し出し一方的に攻撃するのである。皮肉なことに、彼らが典型的に憎む人々ー黒人、ユダヤ人、性的マイノリティ、外国人などのあらゆる「部外者」は、タイプ6が自分の中で恐れている弱さと不安を、象徴的に表しているのである。

これほどまでに、偏見にみち、権力に盲従するようになると、かつては愛らしく人に慕われる人であったなどと、彼らの過去を知らない人に納得させることは不可能になる。さらに、彼らの好戦性の強さは、移りゆく精神状態の基礎に置かれているため、永続的ではないが、攻撃は深刻な害悪を人々に与えるには充分な程度、長期間に及ぶのである



2018年1月5日金曜日

29、忠臣と伝統主義者

ドン・リチャード・リソ「性格のタイプ」春秋社より

任務を負った忠臣
誰かを引きつける行為は、その試みが拒否されるという可能性と、望んだ人間関係が失敗するかもしれない可能性を含んでいる。彼らは、安全を他人の善意と支持に求めるために、健全なタイプ6であっても、何らかの不安を常に感じている。その結果、健全なタイプ6であっても、永続的な同盟関係をつくり、それを維持することに望んでいる。そのため、彼らは他人に身を委ね、自らが忠実で頼りになる人物になることを望む。

健全なタイプ6は、特別な絆を結ぶ人たちに自分を預け、同様に他人にも、同じやり方で答えてもらいたがる。彼らにとって、何らかの一家の一員であることが非常に重要なのである。その「家族」はタイプ6が求める感情面の支えであり、安定の象徴である。

タイプ6はたとえ望んだとしても、感情の絆を断ち切ることは不可能であり、愛が憎しみに変わることがあっても、無関心に変わることはない。個人であれ、スポーツチームであれ、国家、宗教であれ、その結びつきから完全に自由になることはない。彼らの委任は非常に長続きするが、それは一過性の浅薄な選択ではなく、彼らの重要な部分からなる「深い一体感」だからである。

健全なタイプ6は、きわめて忠実であることによって委任を表明し、人間関係を守り抜くことをためらわない。人々は善悪に関わりなく、彼が味方になってくれることを当てにできる。健全なタイプ6は、「行動に関する問題」はまったく見られない勤勉家であり、愛すべき人物なので、知性に恵まれた場合は、しばしば出世する。健全なタイプ6の長所は、成功志向の今日では流行らないが、委任、忍耐、共同社会に対する誠実、忠誠心、家族、宗教、友人、福祉は自明のことであり、何の弁明も必要としない

従順な伝統主義者
通常のタイプ6は、ひとたび何かに身を委ねると、自分で責任をとることを恐れ始める。 彼らは集団の基準に従うことで安全を感じたいと思い、重要な行動の前に、他人の承認、特に権威の承認を得たいと思う。通常のタイプ6は自立していないし、そうしたいとも思わない。彼らは、その権威が何であれ(人間であることが多い)、権威によって設定される境界線を欲しがる

通常のタイプ6は、何をすべきか命令されると気分が楽で、ほかのどのタイプよりも、人生のあらゆる重要な分野において、彼らに指示を与え、包み込む権威に 従順であることにより安心感を得ようとする

彼らは権威に疑問を持つことはない。権威を疑うことは、責任を引き受け、自らに不安を課すやり方だからである。彼らは自立した生き方を、むしろ避けようとする

健全なタイプ6と異なり、通常のタイプ6は従う人である。彼らは資料とか、規則・法令、何らかの「聖典」のなかに前例と答えを探す。この段階のタイプ6は、「命令に従っただけだ」「質問はしない。言われたことをやるだけ」というように、規則を解釈する社会の権威に支配され、規則であれば、その規則が何を命令しようと、規則に従いさえすれば、誰も批判しないし、罰せられることもないと考えたがる

彼らは決定の責任を誰かに頼るので、自分自身の成熟を危険にさらすが、彼らの観点からいえば、彼らの信奉する「命令書」は、権威によって長い年月をかけて試された伝統的価値を備えているので、何かをする前に「許可」をとることや、煩雑な「手続き」に従うことに苦痛を感じない。彼らにとって、法律や機関を味方にすることは、非常に都合の良いことなのである。

したがって、通常のタイプ6は、伝統主義者、組織人、チームプレーヤーであり、ほとんどの団体や官僚組織を構成する、集団の大黒柱であることで満足する。タイプ6は、権威によって押しつぶされるのではなく、強化されると感じる。彼らは、ある集団の一員なので、孤独ではなく、より安全だと感じる。政党、労働組合、宗教の入信、友愛会、クラブ、大会社は、構成する個人の力をはるかにしのぎ、個人では到達できない多くのことを達成するからである。

これらのことは通常のタイプ6を感情面で満足させるが、重大な欠点が二つある。第一に、

盲目的な服従は、個人にとっても組織にとっても、大きな利益をもたらさないということ。第二に、集団との一体感は、

すべての人が「彼ら」と「我々」の集団とに隔てられる、視野の狭い見方を助長するからである

偏狭さは、人びとの間に不必要な区別と差別を生み出す。タイプ6は周りの人が自分と同じように、真剣に規則や権威の象徴に従わなければ気分が悪い。人々が、自分たちと同じくらい従順、あるいは忠実でないと、彼らは怒ると同時に、感情的に脅かされる





2017年12月22日金曜日

28、タイプ6(内向的感情型):通常の状態

ドン・リチャード・リソ「性格のタイプ」春秋社より

タイプ6は矛盾に満ちている。彼らは感情的には他人に依存するが、自分自身をあまり見せない。他人の近くにいたいが、彼らが信頼できる人かどうかを、先ず確かめようとする。権威を崇拝するが、同時に恐れてもいる。攻撃を恐れるが、きわめて攻撃的になるときがある。従順かと思えば、そうでなかったりする。タイプ6は安全を求めていながら、常に不安を感じている。人から好かれ、慕われているかと思えば、卑劣で嫌悪されていることもある。伝統的価値を重んずるが、ときにはそれを覆そうとする。罰から逃れたいのに、わざわざ自分から招いてしまう。

タイプ6にとって、安全は、自分が従うことのできる自己の外にある権威への堅い忠誠から生ずる。タイプ6は、自分を導いてくれる自分より大きなもの、力あるものを手にすることによって、守られていて安全であると感じたがる。大企業であれ、政党であれ、宗教団体であれ、何でもよい。タイプ6が信じる教義は、彼らにとっては重要であるが、信じるべき誰かを得ることほど重要ではない

行動から最も離れる(行動の三つ組の中で)
タイプ6は、<人物・制度・信仰>といった権威の象徴との結びつきがない状態において、自分の意思で決定し、行動する能力から、最も離れている。タイプ6は、ある状態から、その反対側の状態へと、非常に素早く揺れ動くので、九つの性格のタイプの中で、最も人を当惑させる人々である。

愛らしくて慕われる気難しく非協力果断で自己主張優柔不断で煮え切らない、重要な人からの承認を求めるが、下位に居続けることは拒否する。従順であり反抗的である。周囲の人からの評価は「好きになるのは簡単だが、理解することは出来ない」となる。

タイプ6を理解するカギは、彼らが両価的(アンビバレンス )ということである。彼らは自分が強いとも弱いとも、依存的とも自立的とも、受動的とも攻撃的とも感じる。ジキルとハイドのように、刻々と変化する状態を予測するのは難しい。

彼らは自分自身に対しても両価的で、自分が優秀だと感じたすぐあとで、自分は人より劣っていると思い、自信満々のすぐ後で、誰かの助けがなければ何もできないと思う。弱腰で臆病と感じるが、突然怒りに満ちて人を攻撃する。なぜなら、タイプ6は外的な権威だけでなく、内的な権威(超自我)に対しても両価的だからである。その結果、

タイプ6は一つの感情状態から、次々に状態を変えるので、これが自分だというような感情の安定や、対人関係の安全はほとんど得られない。これがタイプ6を「行動に関して最も大きな困難」をもつタイプと定義する理由である

彼らは行動に際して、外部の権威からの承認を期待するだけでなく、実際にとる行動がしばしば優柔不断で回りくどい。彼らの絶えず揺れる性格を理解せずに、タイプ6を理解することは出来ない。彼らは自己感覚を維持するために、心理の裏表が互いに作用しあう必要がある。彼らは一面だけを強調し、もう一面を無視することは出来ない。彼らの両面は互いに手を携えて働くが、両者の間の緊張が高まると、不安が増大する。

不安と不安定の問題
<行動の三つ組-5・6・7>は、すべて不安に対する問題を持つが、タイプ6は不安に対して最大の問題を持つ。タイプ5は不安を知的追求の中に追いやり、タイプ7は絶え間なく行動することで抑圧するが、タイプ6は自分が不安だということを意識しており、ある時は抵抗し、ある時は屈伏してしまう。タイプ6は「不安であることが不安である」タイプだが、通常の状態では、不安に対して攻撃的になることで、不安を感じていないかのように振舞うこともある。しかし、すべての根底には、必ず「不安」がある。

タイプ6は不安に加えて、感情が両価的であるために不安定さも感じている。通常のタイプ6は、他の人たちが自分をどのように感じているか知ろうとして、他人を試し、自分が認められているのかいないのか、その証拠を絶えず探している。通常のタイプ6が神経症になると、他人を疑い偏執病的になり、不安に駆られ、あまりにも不安定になるので、正常に機能することができない


2017年12月20日水曜日

27、内向的感情型:t6(安全を求め慎重に行動する人)

内向的感情型の著名人 
ロバート・F・ケネディ人は現状を見て、なぜこうなのかを問う。私はまだ実現していないことを夢に見て、なぜできないかを問う
⇨{非常に健全なタイプ6は、特に優れた指導者である。彼の勇気は、外的な困難だけでなく、内面の疑いに打ち勝って獲得されたものだけに、より賞賛に値する}ドン・リチャード・リソ「性格のタイプ」

ダイアン・キートン一緒に嵐を乗り越え、永遠の絆を交し合う彼女たちは羨ましくもあるけど、私は出来ないことを追い求めるのが好きだから、長く付き合うと関係の良さが霞んでしまうの
⇨{感情の真の対象が何であるかは、このタイプの健全な人にとっても漠然としたものでしかない。このために、自らの目的を世間に表す際には、世俗的な見方から慎重に隠された宗教的な形をとったり、世間を驚かさないように詩的形式で個人的に表現する}ユング「タイプ論」

リチャード・ニクソンこのときだけは、これまで耐えてきた他の危機とは違い、生きる理由も守るべき大義も見いだせなかった。人間は自分自身以外のもののために生きる勇気を持たなければ、精神から始まり感情を病み、最後には肉体も死んでしまう
⇨{自己中心的になった主体は、見下していた客体の威力や重大さを思い知らされることになる。意識が「他人の考えていること」を感じ始めるのである。この場合の「他人の考えていること」はあらゆる卑劣な行為や悪だくみであり、真実であるかどうかは問題にならない。主導権を奪い返すために、予防のための陰謀を巡らし、他人を疑って盗み聞きをし、できるだけ情報を集めて判断しようとする}ユング「タイプ論」

マリリン・モンロー私は、わがままでせっかちで少し不安定。間違いも犯すし、うまくいかないときには、自分が抑えられないこともある。でも最悪のときに力になってくれないなら、本当の私を知ることは出来ないのよ
⇨{しばしば定義しがたい・相手を支配するような・影響力をふるうという形で、客体に個人的な作用を及ぼす。この影響力は押しつぶされるような感情や窒息させられるような感情として感じ取られ、周囲を呪縛する。こうなるとこのタイプはある種の神秘的な力を獲得し、中でも外向的な男性を強く惹きつける。というのは、この力が彼の無意識を揺り動かすからである}ユング「タイプ論」

「私は、彼女(モンロー)が子供のころ受けた教育や、自分を守る術といったものは、彼女に十分に強い人格を与えなかったのだと考えます。元型的なイメージに耐えるだけの強さがあれば、逆にその状況を批判することができたと思うからです。自分のイメージは人々にとって重要で、宗教的な意味があるはずだ。私たちの文化に女神がいないので、皆が自分をこんな風に利用するのも無理はないと。このように考えることができなけなかったので、やがて彼女は人々が投影した『影』に飲み込まれてしまうのです」。
⇨ John Beebe(ユング派・精神分析家)「夢の賢者ユングより」

■タイプ6(安全を求め慎重に行動する人)・内向的感情型
ドン・リチャード・リソ「性格のタイプ」春秋社より

タイプ6は、ユングの内向的感情型に相当する。タイプ6は<行動の三つ組>に属しているとしても、彼らの感覚は不安に影響されているため主情的である。⇨<行動から最も遊離している> 残念なことに、この対応に関するユングの記述は明快なものとはいえない。おそらく、このタイプを記述する難しさを説明するために、ユングは次のように述べる。

「内向した感情の作用に知的な説明を与えること、あるいは、それについての大雑把な記述を与えることさえ、極めて難しい。しかし、この種の感情の特異な性質は、それにいったん気づいてしまえば、極めて容易に目につく 」。

 C・G・ユング著「タイプ論」みすず書房より

内向的感情が優越している人に当てはまるのは「止水は深し」という諺である。たいてい物静かで近寄りがたく、ミステリアスで、しばしば子どもっぽかったり、平凡な仮面の陰に隠れていることもあるが、目立たずにいて、人前に出ることを好まない。もっぱら主観的な感情に左右されているため、真の動機は隠されたままになっている。外に対しては協調的で常に控えめで、物腰柔らかく相手に共感する態度を示し、他人を操作したり変えようとするところが、まったくない


2017年12月19日火曜日

26、内向的思考型の影

C・G・ユング著「タイプ論」みすず書房より

彼は可能性を際限なく追及するため、あらゆる懸念に常に取りつかれ、考えが明確になるほど、現実世界のどこへ、どのように当てはめればよいか途方に暮れる。彼は自分にとって自明なことが、必ずしも他人にとって自明とは限らないことを、なかなか認めることが出来ない。

彼の文体は懸念からくる、あらゆる補足・限定・注意・疑問によって難解なものになっている。彼は他人に対して、あまり語らなくなるか、自分を理解しない人々のことが頭に浮かび、彼らの救いがたい無知を証拠立てるものを集め始める。このような理由もあって、たまたま理解を示してもらうような人が現れると、その人のことを過大評価してしまうのである
 
目立つのを避けようとするあまり、立ち居振る舞いがぎこちなく、おどおどするかと思えば、子どものような無邪気さを見せることもある。自らの専門領域においては猛烈な反発を招き、それに対しては原始的な激情によって答えるという不毛な論争に巻き込まれる

彼は周囲の人から思いやりのない権威的な人と見られているが、彼をもっとよく知る人は彼の優しい人柄を高く評価している。あまり近しくない人には、無愛想で仲間づきあいに否定的な偏見を持つひねくれものと思われることもある

彼は教師として個人的に影響を与えることはほとんどない。彼には生徒の心など知るよしもないからである。そもそも教えること自体に興味がないし、教えている最中にも教材について考え込んでしまい、説明することだけでは満足できないので教師失格である。

このタイプが度を超すと、⇨近しくない人には好意を示すことは皆無になり、⇨近しい人には益々依存するようになる。⇨発言は個人的で独りよがりになり、理念は深まるほどに、⇨手持ちの材料では説明不可能になる。そして、この材料不足の埋め合わせに⇨情緒不安定で傷つきやすくなる

彼は外からくる未知なるものは断固拒否するが、自分の内からくる未知なるものについては何としても守り通そうとする。彼は著しく主観的になり、主観的な真理と自分の人格を同一視するようになる。主観的な真理を他人に押し付けるようなことはないが、批判に対しては、それが正しい批判であっても、憎悪の念をもって立ち向かって行く。生産的な理念は憤怒の毒により破壊的になり、外部に対し孤立することは、

無意識の影響力に対する戦いも増大させる。本来、内向的思考は、次第に永遠の妥当性をもった元イメージへ近づく理念を発達させる点において、能動的な包括性を持つ。ただし、

客観的経験との結びつきが弱まるとこの理念は神話的になり、その時代の状況に対しては真実味がなくなる。したがって、

この思考が価値を持つのは、その時代にとって馴染みのある明白な事実と結びついている間だけである

相対的に思考と対立する感情、直観あるいは感覚が、無意識と結びつくと、未発達な外向的性質により客観性を歪める。内向的思考型が客体から受ける厄介な影響は、すべてこの性質による。内向的思考型の人が周囲に張り巡らす自衛策や障壁、こうしたものはすべてこの<呪術的な>作用を防衛するためのものである